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男と女のスリリング
『男と女のスリリング』−映画で覚える恋愛英会話

字幕翻訳の第一人者戸田奈津子さんが、映画の中のしゃれたセリフを軽妙なエッセイで紹介。場面 を説明しながらの解説は、生きた英会話のレッスンになる。 この『男と女のスリリング』(集英社)の中から、華やかな仕事に隠れた厳しさや、戸田さんの映画への情熱をつづったライフストーリーと、小粋なラブストーリー「恋人たちの予感」をご紹介。
男と女のスリリング(集英社文庫)

転機となった『地獄の黙示録』。コッポラ監督の推薦だとあとで知った

字幕翻訳家としては宙ぶらりんの状態だった私に、転機をもたらしてくれたのは、フランシス・F・コッポラ監督です。

彼とは、ガイド兼通訳という立場で出会いました。『地獄の黙示録』の撮影中、たびたび日本を訪れていたコッポラ監督を、ショッピングや食事へ案内するのが私の仕事でした。

監督は、音楽にシンセサイザーの冨田勲さんを起用したいという希望で、私も冨田さんのお伴をして、サンフランシスコのコッポラ宅やフィリピンのロケ地へ。最終的に契約の間題で冨田さんは降りてしまわれましたが、私にとっては初めてのアメリカ、初めての撮影現場を体験する貴重なチャンスが得られたわけです。

エレベーターや試写室のあるコッポラの邸宅を見てはビックリ、パーティーに現れたデニス・ホッパーがドラッグでトンでいる姿にアングリ、かと思うと、シャイなジョージ・ルーカスがそっと現れて、そっと帰ってゆく。1週間のサンフランシスコ滞在中は、目にするものすべてが新鮮な驚きでした。

それ以上に輪をかけて印象深かったのが、フィリピン・ロケです。

ロケ隊は、マニラからヘリで1時問くらいのところにあるジャングルの中の保養地に本拠を構えていました。温泉も出るというゴージャスなリゾートです。私が滞在したのは、ちょうどマーチン・シーンが心臓発作で倒れる前後の1週間。まだ小さかったエミリオ・エステベスとチャーリー・シーンが、バンガローの近くでキャッチポールをしていた光景などもかすかに覚えています。

メーキング・フィルムの『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』(91年) を見てもらえばわかるとおり、『地獄の黙示録』を撮影中のコッポラは、マーロン・ブランド演じるカーツ大佐に、自分自身もなりきっていたようなところがありました。

ある日突然、「僕は日本料理をマスターするんだ」と言って、マニラヘヘリを飛ばし、日本人シェフを呼び寄せるようなことをするんです。それでテンプラの揚げ方や刺身の切り方を習う。やること、なすこと、スケールが大きいので、私は目を丸くしっぱなしというありさまでした。

監督がそんな調子でしたから、予算も撮影期間も大幅にオーバー。でもやっと完成して、さあ公開となったとき、私に字幕をという話が舞い込んできました。これには、腰を抜かすほど驚きました。どうして私みたいな新人に、こんな大作をやらせてくれるんだろう……と。

それがコッポラの推薦であったことは、あとから知りました。

スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスを育てたコッポラは、あらゆる分野の新人たちに数えきれないほどサクセスの機会を与えてきた度量 の大きな人です。私も、その視野のすみっこにひっかかったひとりだったのでしょう。もっともコッポラ自身は、私のためにひと言、口をきいてくださったことなど、とうの昔に忘れておられるとは思いますが……。


まるで旅をするように映画の世界を。それがこの仕事の魅力

ロビン・ウィリアムスの旅行には何度かお供しています
『地獄の黙示録』(79年) は80年2月に封切られ、公開と同時に大ヒット。社会現象的な話題になりました。この大作を手がけたということで、私もやっと洋画業界で字幕のプロと認められるようになったのです。これを契機に、私の生活にもドラマチックな変化が起こりました。それまでは、年に2〜3本だった字幕の仕事が、一気に50本に増えたのですから。

以来、1週間で1本の映画を仕上げていくというペースが、現在まで続いています。手がけた作品の数は、およそ1000本くらいになったでしょうか。

よく、人からは、「そんなにたくさんの映画をやっていて、飽きませんか?」というご質問を受けますが、答えは「NO」です。

たとえば、毎回同じような内容のものをずっと続けていたら、それは飽きるかもしれません。でも、映画は1本1本が違う世界。

『ミセス・ダウト』(93年/94年公開) でロビン・ウィリアムスの声色まじりのおしゃべりに、仕事をしながらひとりクスクス。しかしその1週間後には『シンドラーのリスト』(93年/94年公開) で、ユダヤ人とともに強制収容所のガス室の恐怖に身を震わせている。感情移入をしなければ、セリフをつくれませんから、1週間ごとに頭はいろいろな世界ヘトリップしているのです。飽きている暇などありません。

まるで旅をするように、それぞれが個性豊かな映画の世界を散策できる。字幕という仕事は、それがいちばんの魅力です。

もちろん、作品ごとに頭を悩ませる問題は数々あります。

法律や医学の専門用語をどうするか、固有名詞やスラングをどう訳していくか、文化的な背景の違いをうまく説明するにはどうしたらいいのか……。

でも、そういったひとつひとつの問題に対して、頭をしぽるのが、また楽しい。ちょうどジグソーパズルをはめ込んでいくような感覚で、「ああでもない、こうでもない」とあれこれ考えるのが好きだからこそ、ストレスもまったく感じずに、この仕事を続けていられるのかもしれません。

字幕翻訳家になりたい。

そのささやかな夢がかなうまでに、20年かかりました。文字どおりのゼロから出発して、門のない世界に挑み続けた道です。マニュアルにのっかった人生ではなかっただけに、人一倍時間もかかりました。

けれども、「もっと別な生き方があったんじゃないか」と、後悔の気持ちを抱いたことは1度もありません。なぜなら、「好きなことをやる」ことが、私の求めるいちばんの幸せだったからです。

最近の映画には、エンド・クレジットに果てしない数のスタッフの名前が出てきます。何百人といる彼らは、映画というとてつもなく大きなものの歯車のひとつ。でも、きっとみんな、自分の小さな力が、携わる映画のどこかを支えていると信じて仕事をしているはずです。

私の思いも同じです。作品の1本1本に関わるとき、自分は小さな歯車のひとつになっていると感じるのです。日本人が洋画を見るときに欠かすことめできない「字幕」という歯車に。



集英社
『男と女のスリリング』より


『男と女のスリリング』より「恋人たちの予感」を読みたい人はこちら
 
image ROADSHOW

字幕翻訳の第一人者戸田奈津子さんが「映画のセリフで英語の勉強」というテーマのもとにつづる、楽しい“レッスン”が、映画情報誌『ROADSHOW』の「brush up your English」というページに連載されている。連載はなんと20年以上も続いている。
『男と女のスリリング』『スターと私の英会話!』は、「ROADSHOW」に過去に連載されたものをまとめた本で、それぞれ1994年5月、2001年8月に出版された。

Thanks to :株式会社 集英社
〒101-8050 東京都千代田区一ツ橋2-5-10
TEL:03-3230-6111(代表)
『男と女のスリリング』をもっと読みたい人はここをクリック