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男と女のスリリング
『男と女のスリリング』−映画で覚える恋愛英会話

字幕翻訳の第一人者戸田奈津子さんが、映画の中のしゃれたセリフを軽妙なエッセイで紹介。場面 を説明しながらの解説は、生きた英会話のレッスンになる。 この『男と女のスリリング』(集英社)の中から、華やかな仕事に隠れた厳しさや、戸田さんの映画への情熱をつづったライフストーリーと、小粋なラブストーリー『恋人たちの予感』をご紹介。
男と女のスリリング(集英社文庫)

トム・クルーズ
就職。とりあえずOLを選ぶが1年半でフリーに

呑気に過ごしてきた大学生活も、いよいよ終わるときがやってきます。

津田塾は英語教師を志望する人が多いのですが、教育実習の経験から、私にはとても性に合わないとわかっていました。だから、なにか別 の仕事をみつけなければなりません。

当時、ほかに人気があった職業は、スチュワーデスや公務員。でも、人前でなにかするのは苦手、9時から5時までの仕事に縛られるのも気が進まない、といった調子で、なかなか将来の目標が定まらないでいました。

同級生はどんどん就職先を決めていくし、母は「どうするの?」と心配するしで、気持ちのほうは焦るいっぽう。

そこで初めて気づいたんです。

映画の字幕翻訳を仕事にできないだろうか……と。

もちろんそんなことを考えたのは、同級生の中でも私ひとりで、友だちにはずいぷんあきれられたものです。

「戸田さんって、なに考えてるんだろう? 変人だわ」というような顔をされて。

現に、自分自身でも雲をつかむような話でした。

映画字幕の仕事がやりたいと思ったところで、知人に映画関係者がいるわけじゃなく、どうやったらなれるものなのか、まったくわからなかったのですから。

そこで、映画を見て名前を知っていた清水俊二(しみずしゅんじ)先生に、手紙を出すことにしました。住所を調べ、「弟子にしてください」という希望を書いて。

しばらくして先生からお返事をいただき、会っていただけることになりました。けれども、いただいた答えは、「そう簡単になれるものじゃないから、あきらめて別 の道を探しなさい」というもの。

やさしい口調ではありましたが、「NO」というメッセージははっきり伝わってきました。おいそれとなれるものじゃないと予想してはいたものの、この世界はちょっとやそっとじゃ歯が立たないんだということが、初めて身にしみてわかったわけです。

大学の学生課から電話があったのは、その直後のことだったと思います。大手保険会社の社長さんがロータリークラブの会長をされていて、その秘書をやらないかという就職の斡旋でした。

字幕の仕事は1年や2年じゃラチがあかないと考えていた矢先だったので、私にとっては渡りに船。とりあえずOLとして、社会に第一歩を踏み出すことになりました。

ところがこの仕事は、徹底的に私に向いていなかった。まず、制服を着せられたことが、いやでいやでたまりませんでした。暇をもてあまして仕方がないくらい仕事がなかったことも、会社嫌いに拍車をかける要因になりました。

組織の中で、時間や規則に縛られることがとことん窮屈に感じられて、結局、会社は1年半で退職。在職中から少しずつ始めていた翻訳のアルバイトを糧に、フリーになる道を選んだのです。


いっこうに開けない字幕への道。不安なまま時が過ぎる

ビジネス書の英訳をしたり、通信社でちょっとした文章を書いたり、和文英訳にタイプ打ちと、とにかく翻訳に関わる仕事ならなんでもやりました。

ただ、字幕への道だけはいっこうに開けてこなかった。

清水先生からは、就職したあとも年に数回ご連絡をいただき、英文の手紙を書くお手伝いのようなことはさせていただきました。

私にしてみれば、これが字幕の世界に通じる1本の糸。だから「まだあきらめていません」という意思表示だけはしていましたが、弟子にしてくださる気配はまったくありませんでした。

いま考えれば、これは当たり前のことなのです。というのも、映画字幕は、人まかせにできる部分がいっさいない仕事。ほかの翻訳と違って、部分的に下請けにまわすことが技術的に不可能なわけですから、先生としても弟子のとりようがない。

では、自分で練習すればいいかというと、当時はビデオなんてなかった時代ですから、それもできなかった。戯曲を買ってきてすべてを翻訳することはできても、肝心の画面 と秒数に合わせて文字を切り詰める作業を学ぷことはできない。字幕のノウハウを勉強することに関しては、まるでお手あげの状態でした。

果たして自分は字幕翻訳家になれるのだろうか。

そんな不安な気持ちを抱えたまま、時はどんどん流れていきました。

ちゃんとした定職もなく、結婚する気もなさそうだというので、周囲はいろいろ気をもみましたが、妥協するといつか後悔するだろうという予感がありました。

それよりは、たとえ無に賭けるようなものでも、自分の選んだ道を進みたい。

この世の中、飢え死にすることはないんだから、自分のやりたいことを貫こう。

30歳を目前に控えた私の胸にあったのは、ただその決意だけでした。



映画会社のアルバイトに。そして強引に記者会見の通訳を

清水先生からユナイト映画のアルバイトを紹介していただいたのは、ちょうどそんなときです。映画評論家の水野晴郎さんが宣伝部長をしていらっしゃった時代で、『007』シリーズを抱えたユナイトは活気にあふれていました。

私の仕事は、本社に出す手紙を英訳したり、宣伝の資料を和訳したりというもの。字幕とは縁遠いものでしたが、とりあえず映画界にもぐり込むきっかけだけは、ここでつかむことができたわけです。

しばらくして、『アリスのレストラン』(69年/70年公開) のプロデューサー、ヒラード・エルキンズが、ユナイトの招きで来日することになりました。ところが、記者会見で通 訳する人がだれもいない。そこで水野さんにバンと肩をたたかれたのが、私です。

「戸田さんは、字幕をやりたがってるくらいなんだから、英語もしゃべれるでしょう。やりなさい、やりなさい」と、強引に会場へ押し出されて……。

これが通訳の初仕事。大学時代のアルパイト以来、通訳なんてほとんどしたことのない私が、いきなり大勢の記者たちの前に連れだされたのですから、それこそ冷や汗ものです。しかも、エルキンズは前衛劇のプロデューサーとして知られるような人だったので、話の内容もメチャクチャむずかしい。こちらはひたすら舞い上がってシドロモドロ、それでもどうにか乗り切ったという緊張の初体験でした。

それからは、『屋根の上のバイオリン弾き』(70年/71年公開) や『007/ダイヤモンドは永遠に』(71年/71年公開) など、ユナイトのキャンペーンの通訳は、自然と私の担当ということに。そのうち他社からも声がかかるようになって、通 訳の仕事がどんどんひとり歩きを始めるようになっていったのです。

私の場合、通訳はまったくの自己流。留学経験があるわけでもなく、養成学校に通 ったわけでもない、会話に関しては、まさに現場で覚えていったという感じです。本番で初めて耳にする単語なども、たくさんありました。でも、いちおう映画のことを知っているので、なんとか話が通 じる。たぶん、そんなところが重宝がられたのでしょう。

ただ自分としては、英会話はヘタクソだし人前に出るのも苦手なので、できればやらずにこしたことはなかった。でも、断ったら字幕の仕事にたどりつけないんじゃないかと思い、恥を承知でお引き受けすることにしたのです。

いまでも時々、この仕事が舞い込んできますが、お引き受けするのは、ひとえに監督や俳優さんたちとの出会いを通 じて得るものが大きいから。プロではありませんし、字幕は自分の「職業」として意識していますが、通 訳のほうは彼らの詰を聞きたいという気持ちだけなのです。



ブラッド・ピット。『ジョー・ブラックをよろしく』のキャンペーン来日。
デビュー作の字幕のひどさにガクゼン!

「通訳の戸田さん」として、映画会社に顔と名前を知られるようになっても、字幕をやらせてくれるところはなかなか現れませんでした。

私が字幕翻訳をしたがっていることは、業界のだれもが知っていました。でも、映画1本の字幕を作るには何十万円というお金がかかるため、なかなか新人には任せてもらえない。あいかわらず字幕の世界は、日本第1号の字幕入り映画『モロッコ』(30年/31年公開) のころから活躍されている10人足らずの先輩たちで占められていて、とても新人の入りこむ余地はなかったのです。

そんな保守的な風潮にいらだちを感じているとき、やっとユナイト映画からフランソワ・トリュフォー監督の『野性の少年』(69年/70年公開)、そしてほとんど時を同じくして第一フィルムという会社から、『小さな約束』(72年/73年公開) というフランス映画の字幕をやってみないかと声がかかりました。待ちに待ったチャンスの到来だけに、私の意気込みも相当なものだったと思います。

試写を見て、「1秒間に3〜4文字」といった原則を教えてもらったあとは、原文の台本を家に持ち帰り、ひとりで訳と格闘する日々が始まりました。

「新人なんだから時間をかけてもいいよ」と言われていたので、何度も何度もことばを練り直し、推敲を重ねていきました。

その字幕が付いた試写を初めて見たときのことは、いまも忘れられません。  

自分では、「これで完壁だ!」と思っていたものが、あまりにも画面と合っていなかったことにガクゼンとしてしまったのです。

失敗の最大の理由は、原稿用紙の上だけで、凝った表現をしようと考えていたことにありました。字幕の場合は、画面 と一体になって生きる文章 -リズムがあってパッと読み切れるようなもの- でなけれぱ、用をなさないのです。

人に言われるまでもなく、ヘタクソなことは明らかにわかりました。映画会社のほうでも、「これでは使いものにならない」と、清水先生の手をお借りすることになりました。

そのとき先生が教えてくださったのは、「こういう場合は、こうするんだよ」というケース・バイ・ケースのこまかなルールです。それはやはり、現物の映画をいじってみて、初めて理解できるものでした。

先生のアドバイスをもとに全部をやり直して、ようやくOKをいただけるものが完成。この初仕事では、漠然と想像していたものと現実とのギャップに、大きなざせつ感を味わったものです。

やっと果たしたデビューですが、一人前のプロとして認められるようになるまでには、さらに時間がかかりました。

7年の間、字幕の仕事はせいぜい年に2〜3本。とても食べて行けないので、あいかわらず通 訳や、映画以外の翻訳のアルバイトも並行して続けていきました。

この時期、いちばん量をこなしたのは、外国に輸出される日本のTV番組(「鉄腕アトム」「隠密剣士」など) の台本を英訳する仕事です。字幕とは反対の和文英訳でしたが、どちらも会話体なので、映画で聞いたセリフを使ってみるような試みもでき、結果 的にはいい勉強になりました。

 
集英社
『男と女のスリリング』より


Page3:字幕翻訳家としての戸田さんに転機をもたらしたものは・・・。
 
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