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なんや、これ? アメリカと日本

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【著者からのことば】
翻訳は地味な仕事だ。縁の下を這いずりまわり、ない力を振り絞っているのが翻訳者だ。だが、その役割は決して小さくはない。外国のすぐれた文化、知識、情報を日本人が日本語で吸収できるようにするのが翻訳の役割である。それによって、明日の日本文化を支える基盤を築く一助になるのが翻訳である。 このような重要な役割を担っている点を考えれば、翻訳とは何か、翻訳とはどういう職業かについての真剣な議論がほとんどないのは残念なことだ。翻訳が気楽な副業、気楽な内職になるかのような話ばかりが目につく。翻訳という仕事を軽く見る傾向が、翻訳の学習者や翻訳教育関係者、翻訳書の読者、そして一部の編集者や翻訳者にまであるのは心痛むことだ。 本書が、一生をかけた職業として翻訳に真剣に取り組んでいる人たち、これから取り組もうとしている人たち、編集者や発注者として翻訳に関与している人たち、読者の立場で翻訳に興味をもつ人たちが翻訳について深く考える際に、わずかでもヒントになればと願っている。

翻訳とは何か 職業としての翻訳
山岡洋一

第5章 翻訳者への道 翻訳学習者の奇妙な現実

翻訳学習者の急増がなぜ奇妙だと思えるのかは、簡単な事実をみてみればすぐにわかる。翻訳学習者は最大手の翻訳学校だけでも四万人になるというから、少なくとも六万人から七万人、多ければ十万人を超える。このうちかなりの部分は、小説の出版翻訳を目指している。ところが、小説の出版翻訳という分野は、現役の翻訳者の数が多くても数百人しかなく、一家の生活を支えられる収入がある翻訳家の数は少なければ十人を上回る程度でしかない。ここに何万人もの学習者が押し寄せてきても、一年あたり一千人から一万人にひとりが目標を達成できるにすぎない。

一千人から一万人にひとりしかプロになれない世界が世の中にないわけではない。だれでも知っている例をあげれば、野球がそうだ。全国の高校や大学、ノンプロで野球部に所属している人はたぶん、十万人を軽く超えるだろうが、プロになれるのは、年に百人以下でしかない。そのなかで一軍で活躍できるようになるのは、年に十人ほどのはずだ。確率を考えれば、翻訳といい勝負のはずである。

だが、野球の世界では、よほどの才能とよほどの努力とよほどの指導とよほどの幸運がなければプロにはなれないことを、少年野球の選手でも知っている。たいていは野球が好きだから楽しんでいるだけで、本気でプロを目指しているわけではない。就職がむずかしくなっているからプロ野球を目指すと考える少年がいるとは思えない。

ところが翻訳学習者の多くは本気でプロを目指している。いい年をして、野球少年ほどにも世間を知らないように思えるのだ。

翻訳学習者の急増をみて、翻訳者が心穏やかでないといっても、競争相手が増えるからではない。事実は逆だ。本来なら翻訳など考えるべきではない層にまで学習者が広まって、力のある新人が登場してこなくなっているのではないかと心配になるのだ。翻訳は十年二十年の経験の蓄積が重要な仕事なので、大家と新人では実力が段違いなのが普通だ。だが、一九三〇年代までに生まれた翻訳家が三十代で訳したもの、たとえば村上博基訳『女王陛下のユリシーズ号』(ハヤカワ文庫)を読んでいまの新進翻訳者の翻訳と比較してみると、溜め息がでるのではないだろうか。

もっと溜め息がでるのは、翻訳学習の動機を聞いたときだ。ほとんどの人の答えが、得意な語学力を活かせる仕事をしたいから、自宅でできる仕事だからのどちらかなのだ。この答えになぜ溜め息がでるかは、たとえばすぐれた翻訳家がたどってきた道筋をみてみれば理解されるだろう。

翻訳家がたどってきた道筋をみていくと、翻訳者への自然の道と呼べるようなものがあることに気づく。

第一の道筋として、原著または原著者に心酔し、それを自国に伝えたいと熱望して翻訳に取り組むようになった翻訳者が少なくない。翻訳の歴史に名を残す偉大な翻訳家には、この道筋をたどった人が多い。第2章で紹介した偉大な翻訳家のなかでは、玄奘とティンダルが典型だろう。原著や原著者を自国に紹介する方法は翻訳だけではない。評論や研究書を書く方法もある。だから、この道筋をたどってきた翻訳家は同時に評論家であったり、学者・研究者であったりすることが多い。

第二の道筋として、現役の翻訳家に多いのは、たとえば小説を書こうと修業を積んできた人が、どこかで翻訳に転じるものである。似た例をあげれば、新聞記者、学者や研究者などから翻訳に転身した人もいる。少し性格が違うが、編集者から翻訳者に転じた人も多い。たいていの場合、三流のものを自分で書くより、一流の原著を訳すほうがいいと考えて、翻訳に転じている。この道筋を歩んで、たとえば小説の翻訳を職業としている翻訳家が、自分で小説を書けないわけではない。おそらくは、書店にならんでいるたいていの小説よりすぐれたものを書く力をもっている。しかし、その程度では自分で満足できないのだ。つまり、この道筋を歩んできた翻訳者は、自分に課す基準が高い。翻訳の際にも当然、基準を高く設定している。簡単には妥協しない。だから、一流の翻訳家にはこの道筋を歩んできた人が多いといえる。

もうひとつ、第三の道筋として、時代の要請に応えて翻訳に取り組んできた翻訳家がいる。第2章で紹介した四人のなかでは、村田蔵六がそうだ。フナインもこれに近いかもしれない。村田蔵六の場合、村医者の家に生まれて、医者になるために学んできた。蘭学を学んだのもそのためだ。ただし、蘭学は語学ではないし、オランダの医学に限定されたものでもない。西洋医学を学ぶには、当時のヨーロッパで発達しつつあった自然科学の全体を学び吸収する必要があった。このためもあったのだろうが、黒船来襲によって時代の要請が医学から兵学に変わったとき、村田蔵六は「業績不振」の家業を閉じて、まったく専門外の兵書の翻訳に転じている。

以上三つが翻訳者への自然の道筋だとするなら、翻訳学習者のほとんどは、不思議な点を学習の動機にしている。自宅でできる仕事を探したら、翻訳があったという。たぶん、十坪を超えるほどの書斎とそれ以上に広い書庫が自宅にあって、お手伝いさんが何人もいるほど恵まれた方なのだろう。在宅勤務の陥穽については第6章で取り上げるが、翻訳は狭い自宅で内職としてできるほど簡単な仕事ではない。

得意の語学力を活かした仕事をしたいという動機はもっと奇妙だ。まず、英語力を活かすのなら、もっと楽で収入の多い仕事がいくらでもある。国際機関や外資系企業に勤める方法もあるし、外国ではたらく方法もある。また、いまでは社会人ならだれでも英語を使いこなす必要があるといえるほどであり、英語を使いこなせること自体は自慢のタネになるようなものではない。

それに、翻訳とは語学力を活かした仕事ではない。何よりも日本語でものを書く仕事である。この点についての誤解が翻訳学習者の間で根強いのは、たとえば、翻訳に近い仕事をあげてくださいと質問すればすぐにわかる。通訳という答えが圧倒的に多いはずだ。翻訳と通訳では新聞記者とテレビ局アナウンサーほどの違いがあることは認識されていない。

そしてもっと奇妙なのは、得意なはずの英語力がいかにも心もとないことだ。翻訳学習者のほとんどは、翻訳学校などでそう教えられるためか、日本語らしい日本語を書けるようにすることが課題だと考えている。訳文の日本語が悲惨な場合が大部分なので、たしかにこの点が課題だとはいえるが、それ以前に、得意なはずの英語力が翻訳はもちろん、英文解釈の水準にすら達していない。第3章で触れた外国語読解力の三段階でいえば、第一段階ですら力不足といえる人がほとんどだ。第二段階に達して道具として外国語を使いこなせるようになっている人は数えるほどしかいない。これまでの英語の本を何冊読んだかと質問すると、十冊以下という人がほとんどであり、たいていは学生のときに授業で数冊読んだ程度にすぎない。英語の読解力の点で実力を飛躍的に高めなければ、翻訳学習者は翻訳者にはなれない。ところが、翻訳学習者の多くは語学なら得意だと考えている。自信をもってはいけない点に根拠のない自信をもっているのだ。

とくに異様なのは、翻訳学習者が翻訳という仕事にあこがれている点である。翻訳はあこがれるような仕事ではない。苦労は多く収入は少ない。

それに翻訳者は物書きの端くれだ。長谷川辰之助が「くたばってしまえ」といわれて二葉亭四迷を名乗るようになった経緯をみるまでもなく、そもそも物書きとはヤクザな稼業なのだ。もちろんなかには一流になって世間の尊敬を集めるようになった物書きがいないわけではないが、それはごく一部の例外か、世間の誤解によるものだ。

司馬遷が『史記』の「太史公自序」に書いている。孔子は世間に受け入れられないことを知って『春秋』を著し、屈原は追放されて『離騒』の詩をうたい、孫子は脚切りの刑を受けて兵法を書いた。『詩経』は大部分、聖人賢者が憤懣を発して作ったものだ。これらの人は心に何らかの鬱結があって、その捌け道がなかったのだと。名著は、「聖人賢者」が生き恥をさらすような状況から生まれるのだと(小川環樹他訳『史記列伝』岩波文庫、第五巻一九二ページを参照)。

西欧近代でも、状況は変わらなかったようだ。アダム・スミスによれば、物書きとは聖職者になるために教育を受けたものの、何らかの理由でなれなかった者であり、もともとは乞食とほとんど同義だったという(『国富論』第一編第十章を参照)。

もちろん、司馬遷が語ったのは紀元前の中国の話であり、アダム・スミスが書いたのは十八世紀の英国での話なので、いまにそのまま当てはまるものではない。だが、何らかの理由で社会のなかに安定した地位を確保できなかった者が物書きになることは、当時もいまも、おそらく変わっていない。物書きとは、社会からはじき飛ばされたか、社会にすっきりと入り込めなかった者の行き着く先なのであり、だからこそ、力があり、意味があるものが書けるのだ。たとえば、夏目金之助が松山中学に職を得て、腹も立てず、喧嘩もせず、つつがなく勤務できていれば、漱石という大作家になっただろうか。

二葉亭四迷の時代にはともかく、いまの時代には、物書きの世界のなかですら、翻訳者はまともな地位を確立できていない。翻訳者が物書きなら、蝶々蜻蛉も鳥のうちといわれかねない立場だ。心に何らかの鬱結があって物書きになろうとも、聖人賢者ではないために名著を書けるはずもない者が選ぶのが、翻訳である。世間で肩身の狭い物書きの世界のなかですら、肩身の狭いのが翻訳者である。

この世界になぜあこがれるのか。おそらくは、友人とか親戚とか、ごく狭い付き合いの範囲に、物書きかそれに類する仕事をしている人がひとりもいないからなのだろう。物書きがどういう人間なのかを知らない。だから、知的な仕事という印象をもっている。少なくとも決まりきった仕事を繰り返しているだけのいまの職業より、高級でやり甲斐もあるはずだという印象をもっている。それに、たとえば小説を書くというのは、自分にはあまりに遠くて、とてもできるとは思えないし、書こうとも思わない。だから、まともな物書き(というのも変だが)になろうとは考えない。でも、翻訳なら自分にもできるのではないかと考える。

それに、翻訳者になれないまでも、翻訳を学習しているというだけで、友人や親戚に自慢できるのだろう。友人や知人に自慢でき、友人や知人から称賛を受けられるという点は、きわめて強い動機なのだ。

しかし、翻訳者になれれば自慢できると考えている人、自分の名前で訳書がでれば大感激だという人は、そもそも翻訳には向いていない。一流の小説を書こうと修業してきた人なら、おなじ目標を目指してきた友人や知人が何人もいるのが普通だ。その人が翻訳に転身して、自分の名前で訳書がでたらどうなるか。翻訳なんかやっていないで、自分で書けよといわれる。一流の翻訳家になるのは、このように、肩身の狭い思いをしながら、恥ずかしながら翻訳に取り組んでいる人である。友人や知人に自慢したい人ではない。

だから、翻訳学習者が翻訳にあこがれているのをみると、異様だという印象をもたざるをえない。翻訳にあこがれているのなら、翻訳という仕事の性格をよくよく考えてみるべきだ。翻訳者とは、あこがれてなるようなものではない。

山岡洋一『翻訳とは何か 職業としての翻訳』より

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著者プロフィール
山岡洋一(やまおか よういち)
1949年、神奈川県生まれ。経済・経営・金融分野を中心とする出版翻訳と産業翻訳にたずさわる。編著書に「ビジネスマンのための経済・金融英和実用辞典」(日経BP社 1996年)、訳書に「ビジョナリー・カンパニー」(日経BP出版センター 1995)、「クルーグマンの良い経済学悪い経済学」(日本経済新聞社 1997)、「市場対国家」(日本経済新聞社 1999)、「バブルの歴史」(日経BP出版センター 2000)など多数。

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