笑いの向こう側に
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| ©喜多村紀 |
ロジャー: 僕は日本ではもう25, 6冊本を出していますけど、この『五行でわかる日本文学 英日狂演滑稽五行詩』を出せるのを一番楽しみにしていました。僕は、小説とか、自叙伝とか、それから宮沢賢治の翻訳書なども刊行していますが、この本を柴田さんと喜多村紀さんと一緒に作ったのは、ほんとうに楽しい経験になりました。
柴田: 僕も翻訳はいつも遊びでやっていますけど、この本は「笑わせて何ぼ」の世界だから、そのためには自分が笑わなきゃ、と、いつにも増して、遊びの精神を強くして臨みました(笑)。その意味で、これだけ楽しかった本は、ちょっとないですね。
ロジャー: ああ、それはよかった(笑)。
柴田: でも、ロジャーだって今までに面白い本をいっぱい作っているでしょう?
ロジャー: 作っていますけどね。でも、僕はね、自分はこの『五行でわかる日本文学』のような本を書くのが本業なのか、それとも『旅する帽子 小説ラフカディオ・ハーン』や短篇集『ハーフ』のようなまじめな小説を書くのが本業なのか、自分でもよくわかりません。でも、ご存知の通り、グレアム・グリーンにも、こうした二つの面があったと思います。一つはもちろん「まじめな要素」、もう一つは「エンタテインメントの要素」ですね。まあ、人間は複雑ですし、名前は言いませんが、ユーモアの精神に欠けている日本の有名な作家がいるかもしれませんけど(大笑)、多くの作家には、そうした二つの面があると思います。
柴田: 北杜夫だってそうですね。
ロジャー: そうですね。井上ひさしもそうだと思います。多くの作家はやっぱりそうしたまじめと笑いの二つの面を持ち合わせているのです。そして柴田さんがさっき「笑わせて何ぼ」とおっしゃったように、リメリックはやっぱりcleverでないとだめですね。読者が読んで、「これは面白い、よくできている」と思わせないとだめなんです。でも、cleverやwittyでありながら、それらを超えたところで、「ああ、すごいな」と感じさせないと、ほんとにいいリメリックとは言えません。しかし、そんなリメリックを書くのは、ほんとうに大変です。cleverな、funnyな、面白いリメリックは誰でも書けますが、それを超えて、「すごいな」と思わせるリメリックを書くのは、人間の業じゃできないかもしれません。なかなかnot
humanly possibleですね(笑)。
柴田: 一人の作家にはシリアスな面とコミカルな面があって、この本にはロジャーのコミカルな面がもちろん前に出ているわけですけど、でもそれだけじゃなくて、その向こうにprofoundな、深い面も見せてくれるのがすばらしいよね。
ロジャー: 僕はずっとそうしたチャレンジをしつづけたいと思っています。ここでは、僕の愛する、すばらしい日本の作家たち25人について詠んでいるわけですが、「面白い」だけではやっぱりだめだと思います。この本を日本文学をよく読んでいる読者が手に取ったときに、それぞれたった5行しかないわけですが、何か深いものを感じ取ってほしい。
四重ぐらい歪んでいる
柴田: 本のつくりとしては、まずロジャーの原文があって、それを僕が訳す。リメリックを韻文で訳すとすれば、忠実な訳というのはありえず、あるていど創作にならざるをえない。創作ということは、どこかを歪めたりもするわけです。そしてもちろんロジャーも、三島なら三島について書きながら、わざと歪めたりしていますよね。それが風刺になったり、笑いになったりする。そしてまたそれを僕が歪める。ここまでだったら、ほかにもそういう本はあったかもしれませんが、ロジャーの英語を見て、僕の訳文を見た喜多村紀さんがさらに歪める(笑)。オリジナルの作家から四重ぐらい歪んでいる。これは今までにはなかっただろうと思いますね。
ロジャー: 普通は、原文があって、できるだけ忠実な訳文がある。柴田さんがいろんなところでいつも言うように、翻訳は基本的にはできるだけ忠実であるのがいい。普段はそんな翻訳をいつも心がけている柴田さんが、先ほど言ったように、今回は創作的な翻訳をしなければならなかった。それは大変だったんじゃないですか?
柴田: そうですね、いつもの翻訳と違って、「何時間でできる」という計算は一切立ちませんでした。30分で訳せたものもあるし、何日もできなかったというのもありました。実際、4つか5つぐらいは、何ヶ月もできないまま残ってしまいました(笑)。
ロジャー: そうでしたね(笑)。
柴田: それで、そのあと紀さんの絵が先に全部できてしまって、「これは大変だ」と、訳せないままになっていたものを久しぶりに見てみたんですが、今度は割とすっとできました。紀さんの絵があったから、いい刺激になって、訳せたのだと思います。この場合は、「ロジャーの原文」→「紀さんの絵」→「柴田の訳」と、順番は違うものの、やっぱりここでもお互いがお互いを歪めあって、一つの作品が完成したわけです。まあ、ロジャーも、僕も、紀さんも、スピリットとしては、「つまらない、まじめなものにしてしまうのはやめよう」という点では共通していましたね。
ロジャー: だから、『五行でわかる日本文学』は、「原文のない本」ですね。もちろん、僕が原文を書かなかったら、この本はできませんでしたが、結果としては、「原文のない本」になったと思います。むしろ、紀さんの絵が主役というか、原文になっています。読者が紀さんの絵を見て、「お、面白い、こんな見方があるのか」と思う。次に柴田さんの訳を読んで、「ああ、すごい訳だな」と思うことでしょう。そして最後に僕の英語を読むのです。そこでようやく英語のリメリックの奥の深さがわかってもらえるのです。面白いですね。本は原文→訳文→絵という順番でできあがりましたが、読者の楽しみ方はまったく逆です。そういう本は、やっぱりあんまりないんじゃないですか?
柴田: そうですね。でも、もちろん、どれから入っていってもいいわけですよね?
ロジャー: もちろんです。だから、外国人には残念なことに柴田先生のすばらしい訳は味わえないわけですけれども、日本人の読者はそれが味わえるのです。
柴田: いろんな楽しみ方ができますね。目が見えない人は、絵は楽しめないかもしれないけど、ことばを聴いて楽しんでもらうことはできると思います。英語を読めない人でも、日本語を読んで楽しんでくださればうれしいですね。
ロジャー: そうですね。
蒲田で生まれたリメリック
ロジャー: ある意味では、この本を理解するためには、二つのことが必要です。一つは、もちろん英語のリメリック(limerick)についての知識ですが、もう一つはこの本が「いつ、どこで書かれたか?」ということですね(笑)。では、この本が「いつ、どこで書かれたか?」について、ご説明しましょう。さかのぼれば、2002年の4月1日、わたしは生まれて初めて蒲田の土を踏みました。柴田さんのご好意に甘えさせていただきまして、蒲田は仲六郷の柴田さんの生家に1年間居候させてもらったのです。僕はオーストラリアで暮らす家族のもとを離れて一人でいますから、時間はたっぷりありますし、せっせと仕事をしますよ。僕は「飲む、打つ、買う」の三道楽は一つもしませんから(笑)、四番目の道楽の「書く」しかしないわけです。これはほんとに悪い癖ですね(大笑)。そして蒲田には天然温泉のすばらしい銭湯がたくさんあります。柴田さんの生家の近くにも、すばらしい銭湯がいくつかあって、僕は週3回は通っていました。だから僕は最初は「蒲田の銭湯」についてリメリックを書いんたんです。
柴田: そうでしたね。
ロジャー: それで、気が付いたらいつの間にか日本の作家についてのリメリックも書いていました。ある日のこと、シドニーにいる家内のスーザンに電話して、そのなかのいくつかを読み上げたところ、ゲラゲラ大笑いしてくれました。家内が僕の作品を読んで笑ってくれたのは、ほんとに初めてかもしれませんね。家内が笑ってくれたんですから、とても自信を持ちましたよ(笑)。それで1ヶ月ぐらい書いてみて、柴田さんに見てもらったわけです。それを初めて見たとき、どう思いました?
柴田: いや、面白かったですよ。でも、『五行でわかる日本文学』の「あとがき」にも書きましたけど、「日本人には、この面白さがわかってもらえなくて、残念だな」と思いましたね。自分が翻訳するとは思っていなかったし、翻訳できるとも思えませんでした。リメリックの翻訳というと、エドワード・リアを柳瀬尚紀さんが訳したことがあって、柳瀬さんは、原文と同じように、AABBAとちゃんと韻を踏んで訳しています。でも、僕は人間で、柳瀬さんはお化けです(大笑)。僕はお化けにはなれないし、ロジャーに「あんた、訳してくれへん?」と言われたときには、「いやあ、僕にはとても訳せないよ」と思いました。それでもいくつかやってみたら、まあ大変だけどできないこともないという感じだった。なんとかすべて訳せたけど、最初はほんとにどうやったらいいかわからなくて、すごく大変でした。
ロジャー: 柴田さんも、奥さまに見てもらったのですか?(笑)
柴田: はい。いつも見てもらいますけど、今回は作りながら相談に乗ってもらいました。
ロジャー: いやあ、サウイフ妻ガワタシモホシイ(笑)。スーザンも昔よく僕に言っていました。「あなたもわたしと離婚すれば、日本人の奥さんと結婚できるわ。そして日本語の小説を書いて、その人によく見てもらって、芥川賞をもらってから、またわたしと再婚しましょう」って(大笑)。
柴田: はっはっは、それはいい(笑)。
ロジャー: 20年前にそれを聞いて、「いやいや、そんなことはしない」と思いましたが、今思えば、とてもいいアイデアでしたね(大笑)。
柴田: はっはっは(笑)。
リメリックの独特のリズムを、日本語で再現
柴田: ロジャー、リメリックはこの本の順番通りに書いていったの?
ロジャー: うん、ほぼこの順番ですね。『英語で読む 宮沢賢治詩集』(ちくま文庫)もそうでしたが、僕が書いたとか、訳した順番通りに収録するのがいいと思いました。作家が活躍した時代順に並べることはしたくなかったし、「この作家はこの作家よりすぐれている」というような判断基準を作って並べるようなことももちろんしたくありませんでした。書き終わってから、ちょっと入れ替えたものもありますが、この順番でいいのではないかと思っています。特に深い意味はありません。
柴田: うん、すごく流れがいいですね。「樋口一葉」、「井上ひさし」、そして「おマケ」あたりで終わるのも、すごくいいと思います。
ロジャー: 意図的にやったわけではないですが、そう言ってもらえると、うれしいです。さて、リメリックは行の末尾がAABBAと韻を踏んでいますが、それだけでなく、独特の詩的リズムもあるわけですね。これは日本語にはない詩的リズムですし、それをそのままの形で日本語訳で再現させるのはさすがにむずかしかったかもしれませんね。柴田さんは、このリメリックと英語の独特のリズムを伝えるために、どんな工夫をされましたか?
柴田: 大体、5文字と7文字の訳語の組み合わせを使いました。例えば「紫式部」の最初の行は「光源氏は」(ヒ、カ、ル、ゲ、ン、ジ、ハ)、「平安貴族」(ヘ、イ、ア、ン、キ、ゾ、ク)と7文字の訳語を二つ、そして3、4行目あたりは「当代一の」(ト、ウ、ダ、イ、イ、チ、ノ)、「色好み」(イ、ロ、ゴ、ノ、ミ)というように7文字のあとに、5文字を入れて、ちょっとリズムを変えました。
ロジャー: なるほど、うまいですね。
柴田: とにかく、日本語は5文字と7文字をうまく組み合わせるというか、七五調がやっぱり「語呂」がいんだな、と思いました。
ロジャー: ほんとにそうですね。でも、どうして「語呂」がいいと僕らは感じてしまうのでしょうか?
柴田: それはいい質問ですね。どうしてでしょうか?
ロジャー: わかりませんね。
柴田: なんで、六四ではだめで、七五だといいと思ってしまうんでしょうかね? 不思議です。
ズレてるから面白い!
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| ©喜多村紀 |
柴田: でも、そのリズムをいつも守らなければいけないかというと、そうではなくて、時にはそのリズムを外すことが必要で、それがまた面白さにつながる。ロジャーの原文もところどころそうなっているでしょう?
ロジャー: そうです。
柴田: ちょっとズレてるけど、それがズレて下手だな、と思わせるんじゃなくて、「ズレて面白いじゃない!」と思わせてくれる。
ロジャー: そうですよ。
柴田: 時には最後の行がちょっと長くなっていて、「字あまり」になっているものもある。それがまた面白い。面白い字あまりと、下手な字あまり。この違いはどこにあるんだろう?
ロジャー: 「ルールを破る」というのは、芸術家の挑戦でいちばん尊敬されるべきことです。すばらしい能面を見て、それと寸分たがわぬものが彫れる、というのは、芸術でもなんでもない。それはテクニックや技術にすぎない。しかし、あるとき誰もやらなかったような能面を彫って、それが新しいオリジナリティとして認識されれば、「芸術」になる。ピカソもそうだったんじゃないですか。だから、ルールを破って、字あまりをうまく使いこなせれば最高ですけど、それはとても大変なことです。
柴田: 日本語でも、「これはうまい字あまりだけど、これは単に下手なだけだな」と思うことがありますよね。でも、それは理屈では判断できませんね。これって説明不可能なものなのかな?
ロジャー: そうですね、最初はピカソの絵だって、それからアクション・ペインティングのジャクソン・ポロックの絵などを見ても、これは芸術じゃない、と言う人もいるかもしれない。それはすべて「作品の説得力」の問題だと思います。徐々に多くの人が見るようになって、「ああ、それには味があるな」と思われるようになれば、芸術になるのです。そして、今まで誰もやったことがない、まったく新しいものを見て、「これは新しいピカソだ、新しいシェークスピアだ」と批評できる人はすごく少ないです。そんなことができる学者は、ほとんどいませんね。でも、柴田さんは、日本でまさにそういうことをなさっています。日本で誰もほとんど読んだことがない、まったく新しいものを読んで、ちゃんと評価できるのだから、ほんとうにすばらしいです。マーク・トウェインやハーマン・メルヴィルだけじゃなくて、現代作家も正当に評価できるのですから。
柴田: ありがとうございます。実は、他人がどう評価してるのか調べるのがめんどくさいだけなんだけどね(笑)。
ロジャー: この『五行でわかる日本文学』に収録したリメリックも、誰もやったことがないものなので、やっぱり読者のみなさんの判断に任せるしかないかもしれません。そこで「全然だめだ」と思う人もいるかもしれないけど、リメリックの研究者が目に留めて、「これはすごい!」と思ってくれれば、本書のいくつかのリメリックは英米のリメリックのアンソロジーに収録されるかもしれない。
柴田: ほんとにそうだよねえ。
リメリックの翻訳のむずかしさ
柴田: このあいだ、ロジャーが僕の授業でしゃべってくれたときに、国文科の学生が、「リメリックはどうして3行目、4行目が、1行目、2行目、5行目より短いのですか?」と質問したんだけど、あれはとてもいい質問だったよね。僕は思うんだけど、短い3行目、4行目で、僕らはいわば息を止めて、次の5行目の「オチ」を待ち構えているのかもしれない。
ロジャー: なるほど、そうかもしれませんね。
柴田: 息を止めて、5行目にふっと入って、そしてどっと笑う。3行目、4行目が長いと、そこでたまらず息をしてしまうかもしれないから、その2行は短くなっているのかもしれません。
ロジャー: きっとそうですね。そうです。でも、古典的なリメリックのなかには、実は4行目にオチがあって、5行目は上の行のどれかの繰り返しというものもありますよ。
柴田: ブルースの歌詞みたいなものですね。
ロジャー: そうそう。5行目は一種のafterthought(あとからの思いつき、付け足し)ですね。そのようにして書かれたものもありますし、それもいい方法だと思います。『五行でわかる日本文学』にも、その方法で書いたものがいくつかあります。
柴田: ありますね。エドワード・リアのリメリックは、大体そうですね。でも、柳瀬さんはあえてその原文の調子を生かして訳していないんですね。というのは、4行目にオチが来て、5行目はその上の行のどれかの繰り返し、という原文を日本語でそのまま訳すと、なかなかうまくいかないんですね。
ロジャー: そうですか?
柴田: なぜかというのは大問題なんですけど、そんなふうに訳すと、見方によっては「手抜き」に見えてしまうんですね。ロジャーも5行目は1行目を繰り返すような調子のリメリックを書いているけど、僕もそういうときは全然別のフレーズを作ったりしているでしょう? 例えば、「松尾芭蕉」がそうですね。
ロジャー: ああ、そうか。じゃあ、オチはやっぱりオチているところにオチないとだめなんですね。早オチはだめなんですね(笑)。
柴田: そうそう。原文はそれで確かにうまくいっているんですけど、翻訳では全然うまくいかないということがありますね。英語のほうがsynonym(同義語)が多くて、言い換えが簡単だということがあるしね。それを日本語でやるのはなかなかむずかしい。例えば、「引っ張る」や「引き上げる」は違う表現なのですが、「引」という字がどちらにもあるので、なんだか似たような表現に思えてしまう。そういうことがあって、日本語では同じことを言い換えるのが案外難しい。英語では、例えば「松尾芭蕉」にあるように、1行目のan
old pondはan ancient old bogと言い換えることができる。でも、日本語では言い換えても同じことのくり返しに聞こえてしまうから、あえて全然違うフレーズを持ってきたほうがいいかもしれない。柳瀬さんも、そういう試行錯誤の末に、5行目が上の行のどれかを繰り返している場合は、原文にとらわれずに、全然違うフレーズで訳したんだと思います。
ロジャー: でも、それだと日本語がcleverすぎてしまう危険がありませんか?いや、僕が日本文学を訳すときは、その逆の問題があるんですよ。日本語では「立派な人」とか、「ご立派な人」とかいうように、よく同じような単語を繰り返すことがありますね。でも、同じ単語でも、もちろん同じ意味で使われることもありますが、文脈によっては全然違うニュアンスで使われていたりします。だから、同じ「立派」でも、grandとか、upstandingとか、fantasticとか、greatとか、いろんな単語を考えなければならない。多分、日本語の単語一つが意味しうる範囲は、平均的な英語の単語一つが意味する範囲よりも、ずっと広いのだと思います。だから、それを知らない外国人は、「日本語の表現力は、英語の表現力に比べて貧しい」というようなことを言ったりします。でも、それは違います。僕ら日本語を英語に訳す者は、同じ「古い」でも、ただのoldなのか、ancient(古代の)なのか、それともhoary(昔の)なのか、ありとあらゆることを考えます。「古い」を全部oldで訳したら、全然英語の文学になりません。だから、日本語を英語に訳すには、日本語の表現方法をまずよく理解した上で、自分が持っている英語の語彙を総動員して、うまく英語で言い換えてやらないといけません。
いい意味で「いい加減」で「型破り」
柴田: さっきの「ハズす」という問題に戻りますが、原作の場合はそれがうまくいったとしても、翻訳の場合はそれがすごく心配なんですね。というのは、「ハズれている」原作を同じようにハズして訳してしまうと、ただ単に「翻訳が下手なだけじゃないか」と思われてしまいかねない(笑)。だから、大体は先ほども言ったように、七五調で整えようとしましたね。意図的にそれを破ったのは、「石川啄木」。ロジャーの原文も「字あまり」があることだし、僕も「歌よめども」「やましきことあまた」というように、「字あまり」の訳を意図的に入れました。その代わり、啄木が書いた短歌を工夫して盛り込むようにしました。啄木の短歌も七五調に収まらなかったものも多いわけです。不自然だけどそれが面白さを狙った訳文をつくるときは、それぐらい工夫しないと、ただ「翻訳が下手なんだ」と思われてしまう。これだけ工夫してもやっぱり「下手だ」と思われるかもしれないけどね(笑)。
ロジャー: 僕も宮沢賢治の小説や詩を訳すときは、同じ問題に直面します。でも、この本にはそれを超えた良さがあると思うんですよ。だって、僕の原文も、日本文学について詠んでいながら、それをどこかハズれたというか、いい意味で「いい加減」というか、「型破り」に扱っていると思うんです。でも、「型破り」、「いい加減」というのは、リメリックの伝統のなかに確かにあることで、尊重されるべきものです。僕の原文も、いい意味で「いい加減」になっていたらいいと思います。そして柴田さんの訳文は、ほんとうにそうした原文の持ち味をうまく引き出しているじゃないですか。柴田さんの訳文も、いい意味で「型破り」で「いい加減」です。そして紀さんの絵が、これ以上ないほど型破りというか、ほんとにムチャクチャです(大笑)。でも、そうした型破りな良さを読者が楽しんでくれることを、僕は祈っています。
柴田: ほんとにそうですね。読者の皆さんがそれを理解してくれれば、僕もうれしい。
ロジャー: そして『五行でわかる日本文学』に収録したリメリックは、確かにムチャクチャではあるし、滑稽ではあるけれども、その向こうに何か日本文学の「暗さ」というか「哀しさ」であると思うんです。
柴田: その「暗さ」や「哀しさ」を日本語に生かすのは、ほんとうにむずかしかったですね。それが訳でうまくいったのは、最後の「おマケ for
good measure」だけかなあ。あれはある程度自負があるけど。
ロジャー: いえいえ、柴田さんの訳には、そうした「暗さ」や「悲しみ」がうまく出ていますよ。「川端康成」だって、「樋口一葉」だって、「石川啄木」だって、ほんとに見事です。
蒲田文学の次は?
柴田: 例えば、ロジャーがあの1年間蒲田ではなくて、六本木あたりに住んでいたら、この「滑稽五行詩」は生まれただろうか?
ロジャー: いや、六本木に住んでいたら、ソネットを書いていたでしょう(大笑)。いや、蒲田以外の町に住んでいたら、ほんとに何も書けなかったと思います。僕は柴田さんにほんとにどれだけ感謝したらいいか……。だって、柴田さんは、あのすばらしい蒲田の町に、この僕を1年間ただで住ませてくださったのですよ。柴田さんの限りないやさしさ、蒲田の町の雰囲気、そして柴田さんの生家の、あのなんとも言えない雰囲気……(笑)。それが僕に『五行でわかる日本文学』を書かせてくれました。それをほかでもない柴田さんが訳してくださって、さらに喜多村さんにすばらしい絵を付けてもらって、ほんとに僕は果報者です。
柴田: で、ロジャーはいまは蒲田のちょっと先の川崎に住んでいるんですよね? また詩を書き始めましたか?
ロジャー: ええ、書き始めました。蒲田の次は、川崎文学です(二人とも大笑)。
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