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十字軍ゆかりの英国一古いパブ
最古のパブの定義
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| 絵ハガキなどで、このパブを目にしたことのある英国人は多いだろう。一見するとちょっと古めの普通のパブだが、中に入ると......。 |
英国で最古のパブに行った。「ジ・オールド・トリップ・トゥ・イェルサレム」(以下イェルサレム)は、現地のパブガイドによると一般的に最古といわれている所の一つだ。「一般的に」としたのには理由がある。やっきになって「われこそは英国一古いパブだ」と宣言しているパブは、全英にいくつもあるからだ。
パブという略称が文献上に現れたのは一八六五年だが、パブの前身とでも言うべきインが街道沿いに乱立したのは十三世紀頃だ。さらにインの起源は紀元前一世紀に古代ローマ人がいた頃にまでさかのぼる。
たとえば、ある新築パブのオヤジが裏の井戸から何やら証拠を発見し、「ここは十五世紀はパブだった。今のパブはその後継である」と言い張れば、それで宣伝文句になってしまう。
「古い」ことこそに価値があるこの国で、この武器は効果的だ。「イェルサレム」のほかにはセントオーバンスのファイティング・コックス(Fighting)も自称「英国一古いパブ」の一つで、八世紀から存在し、建物は十一世紀のものだと言われている。
もし英国人に「英国でいちばん古いパフは」と聞くと、おそらくその人の地元に近い地名のパブを挙げるだろう。誰だって地元に誇りを持っているから、どんなにまゆつばでもその地の言い伝えを信じる。
そういった理由で、「イェルサレム」の名はノッティンガム近辺以外の英国人にはあまり知られてはいない。
ノッティンガム城の隣という分かりやすい場所だったが、実は僕としてはあまり気のりがしなかった。都 会に個人経営店は少ないし、観光地の契約パブの雇われマネージャーたちはしょせんサラリーマン、誇りを持ってやっている人は少ない。
それでも行こうと思ったのは、「洞窟の中にあるパブ」とガイドに紹介されているのに加え、道中で多くの人がここに行くことを勧めたからだ。ノッティンガム市内の若い学生たちは、口をそろえて「あそこはいいよ」と言う。「今のマネージャーになってから、気さくに話しかけ
てくれるしね」こんな観光地パブのマネージャーで、地元の人の記憶に残っているのは珍しい。どんな人か会ってみたい。
ロビン・フッド像も変わってないが
僕はノッティンガムのタウンセンターを歩いていた。見上げると、そのロは残念ながら英国らしく雲の多い空だったが、ときどき申し訳程度に青空が顔を出していた。ノッティンガム・キャッスル(Nottingham
Castel)という案内板にそって坂を登っていくと、やがて懐かしい城壁が見えてきた。この城は1875年に修築され、当時はこの地方で唯一の博物館としてオープンした。
ノッティンガム城に来るのは二度目だ。三年間英国にいたときは日本人学校の教師をしていたので、ここには生徒を引率しながら来たことがある。そのときは城を出てすぐのロビン・フッドの像の前で、記念撮影をした。中学生のやんちゃ盛りが相手で、はらはらしっぱなしだったので、そこから目と鼻の先の「イェルサレム」でさえも行く余裕なんかなかった。
このロビン・フッドの像も変わってないけれど、自分も大して四年前と変わってないなあ、としばし感慨にふける。
城の主ノッティンガム州長官フィリップ・マークはロビンフッドを目の敵にしていたというが、どこでも神出鬼没だったという伝説のおたずね者のこと、州長官をあざ笑うかのように仲間を連れてこっそりここで一杯やったのかもしれない。彼が潜んでいたのは町から三十キロ離れたシャーウッドの森だから、飲みに来るだけで一日仕事になったことだろう。そのほか、ここノッティンガムは詩人のバイロンや「チャタレイ夫人の恋人」のD・H・ロレンスの里でもある。
城の入口の左手の坂を下っていくと、右手にそのパブは見えてきた。
このあたりをブリューハウス・ヤード(Brewhouse Yard)と呼ぶのは、かつてはこの地にビールエ場があったからだ。パブのとなりに
"Brewhouse Yard Museum" なる建物があるので、てっきりそのブリュワリーに関する展示かと思ったら、ノツテインガムの住民の生活に関する展示だった。
十宇軍が立ち寄ったのが発祥
「イェルサレム」の前に立った。外見はちょっと古めのパブという感じで、「英国一古い」と知らなければ通りすぎてしまうかもしれない。
白い外壁は比較的最近塗りなおしたもののようである。気になるのは、建物の奥が城を取り囲む城壁に接して建っていることだ。
「洞窟の中ってどういうことなんだ。普通のパブじゃないか」
入っていくと、すぐに小さな部屋があり、昔のスナッグの名残のようだ。さらに進むと中庭へと通じる。そこを左に折れると、もう一つ部屋があるが、ここまでは割と普通の古いパブ。だが、正面に見える小さな螺旋階段を上ると……
「なるほどね、確かに洞窟だ」
そこには洞窟の中にそのままいるような部屋があった。白い壁が、丸く部屋を覆っていて、上には当時からの通気孔。
その部屋から階段を少し上がったさらに奥の部屋は「ミュージアム・ルーム」とされていて、十字軍を描 いた絵が展示されている。もちろん、普通に飲食してOKだ。
そう、「イェルサレム」は十字軍ゆかりのパブなのだ。
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| 十字軍遠征は、英国人たちにとっては誇りなのだろうか、それとも... |
第三回十字軍のとき、リチャード一世が英国軍を引き連れたわけだが、その途中、兵士たちがノッティンガム城に立ち寄って、作戦を練ったり、休憩をしたらしい。兵士たちが寝泊りするところがなく、この洞窟で休ませたときにビールを出したのかもしれない。十字軍が聖地に旅立ってからも、市民や城の兵士たちがビールを楽しむ場となり、洞窟が整備され、やがては建物が建て増しされたのだろう。
記録によると、最初に十字軍が立ち寄ったのが1189年のことなので、このパブも1189年創業」となっているが、この建物自体はもっと後にできたもの。ほら、最古のパブの創業年号なんてその程度の根拠なのである。
店名の "Ye Olde Trip to Jerusalem" のYeは古英語で「イェ」と発音するが、普通に「ジ」ということも多い。Oldeはオールド。YeとOldeは店名でよく使われる。世界初の英語辞書を編纂したジョンソン博士の行きつけ、ロンドンの
"Ye Olde Cheshire Chees" は有名だ。
ノッティンガム城は、十字軍より百年ほど前、征服王ウィリアムが1068年に築城を命じたというが、そのときに作らせた濠がこの洞窟の起源だろう。
さっき外から見た白い建物は、パブではなく、庭やトイレなどの付属設備で、パブ自体はほとんどがその奥の洞窟であった。
白井哲也『パブは愉しい』より
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