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今年のアカデミー賞助演男優賞に『リプリー』でノミネートされたジュード・ロウは今、ハリウッドでも最も注目されている若手俳優である。知性と品のある美しい顔。演技における凄まじい集中力。それにも関わらず漂わせるどこか冷たく、ミステリアスな雰囲気。「大衆の恋人」レオナルド・ディカプリオとは対照的な独特の存在感に、ハリウッドは未曾有の熱狂を送っている。
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『クロコダイルの涙』
(秋公開、アスミックエース) |
1971年ロンドン生まれの彼は'87年から3年間、ナショナル・ユース・ミュージック・シアター(ミュージカル俳優を輩出する児童劇団で、アンドリュー・ロイド・ウェバーも関わっている)に所属。(そういえば、『リプリー』でも歌うシーンがある)。舞台俳優としてデビュー、ナショナル・シアターの「恐るべき親たち」が好評でブロードウェイでも同じ役を演じ、早くもトニー賞助演賞候補となる。映画は'94年『ショッピング』でデビュー、主人公の運命を狂わせるダグラス卿を演じた『オスカー・ワイルド』('97)で注目を集め、ハリウッド作品にも進出。今年は春に公開された『イグジステンズ』に続き、監督作も含めて3本が公開決定。彼の当たり年となっている。
夏に公開の『リプリー』は、'60年のアラン・ドロン主演『太陽がいっぱい』のバージョンで知られるパトリシア・ハイスミスの小説、"The
Talented Mr.Ripley"の3度目の映画化。主人公トム(マット・デイモン)の殺人の動機が富豪の息子、ディッキー(ジュード・ロウ)への「愛情にも近い憧れ」という設定なので、ディッキー役の比重はアラン・ドロン版よりもずっと大きい。ディッキーが魅力的でないことには、話が成り立たないのである。白羽の矢を立てられたジュード・ロウはこの重責を見事に果
たし、イタリアの太陽のもと屈託のない笑顔を見せ、奔放に享楽の限りを尽くす。「ディッキーは人生への渇望がある。自分のやりたいことをやり、他人に対しても正直で率直だ」と、ジュードは役を分析する。その一方で、「持てる者」ならではの残酷さで貧しいトムを言葉で翻弄し、あげくに冷たい言葉で突き刺す過程では、舞台で培った台詞術を駆使、「ぽっと出の美男子」でないことがよくわかる。前半に殺されてしまう役なのに最後までその残像や声が脳裏に残るジュードは、この映画で完璧に主役を食っている。
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『チューブ・テイルズ』〜
「手の中の小鳥」(8月公開、アミューズビデオ) |
秋に公開の『クロコダイルの涙』はまるで、ジュードのために作られたかのような映画。ロンドンを舞台に、愛する女の生き血を吸わないと生きていけない男が、本当の愛を知ってしまったがための悲劇。女の心を射抜くようなまなざしと、中央で割れた唇が印象的な寂しげな彼の顔が何度もクローズアップ。リアルな画面とファンタスティックな物語がジュードを媒介にして融合した、ユニークな作品である。
8月公開の『チューブ・テイルズ』では、短編の監督にも挑戦している。ロンドンの地下鉄を舞台にしたこのオムニバス映画で彼が選んだのは、古典的ともいえる弱者の視点の物語。意外にヒューマンな彼の一面を語っていて、興味深い。
ジュード・ロウは、その存在において現実と仮想の間を行き来する「映画」あるいは「演劇」というものの本質を思い起こさせる役者である。生身の彼、いわば「スターとしての存在」を売り物にしないジュード・ロウのような役者の台頭は、セレブリティ社会にもういい加減飽きたアメリカ人の反動といえるかもしれない。
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◆『オスカー・ワイルド』
(『リプリー』のディッキーの原形、男性版ファム・ファタールのダグラス卿を、確信犯的に演じている。パステルカラーの世紀末ファッションもよく似合っている)。
◆『ガタカ』
(当人は『イグジステンズ』やこの映画のようなSFが好みだという。悲劇的な元エリートを冷徹に演じきった)。
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