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作家 ロジャー・パルバースさん
Author: Roger Pulvers

Ryota Mitsunaga

私ほど日本を愛している外国人は他にはいないかも。

アメリカで生まれ育ち、ポーランド、パリにも留学経験があるロジャー・パルバースさん。37年前にひょんなことから初来日、以来、日本を愛し、作家、演出家、劇作家、翻訳家、そして大学教授として活動を続けている。ロジャー流語学修得法から、大好きな宮沢賢治について、さらに、英語タウンで連載中の『キュート・デビルの魔法の英語』誕生秘話まで、たっぷり語っていただいた。


日本に来ることになった経緯を教えてください。
私は、生まれたのはニューヨークで、育ったのはロサンゼルスです。大学はUCLA、大学院はハーバードに行きました。専攻はソビエト近代史でしたので、ソビエトにも2回滞在しました。その後、ポーランドにも留学したのですが、スパイ事件に巻き込まれてしまい、ポーランドからフランスへ行ったんです。そこで、フランスの女性とねんごろになりまして(笑)、婚約もしたんですが、フラれてしまい、アメリカに帰ることにしました。

そうすると、今度は、徴兵が来たんです。当時はベトナム戦争のまっただ中。戦争に行くのは嫌だったので、日本に来たというわけです。
日本を選んだ理由は…、日本のことも一切知らないし、日本語もできないし、何だったんでしょうね。でも、東ヨーロッパには政治の理由で戻れないし、西ヨーロッパには恋の理由で戻れない(笑)。

初めて日本の土を踏んだのは昭和42年、もう37年の歳月が流れてますね。日本語は一切話せませんでした。でも、羽田に降りたとき、−当時はまだ成田国際空港はなかったんです−「あ、これは私の国だ」と思いました。

当時、目黒駅近くのホテルに泊まっていたのですが、目黒駅の周囲に屋台がたくさんあったんです。で、たまたま最初に入った屋台がおでん屋さんだったので、私が初めて覚えた日本語は「ちくわ」(笑)。それから、こんにゃく、ロールキャベツ…と覚えていきました(笑)。

しばらくしてから、京都に行き、幸いなことに、京都産業大学でロシア語とポーランド語を教える仕事があったので、そこから語学を教えながら、最初の短編小説を書き始めたんです。
最初の短編集は1969年に出版しました。私は、日本で初めて執筆活動をし、作家になったので、「日本の作家」だと思ってます。日本人の読者のおかげで書けたんです。


では、作家になろうと思われていたわけではないのですか?
そうですね、詩や短編は、大学時代に書いたことはありますが、普通の学生でもやりますし、作家になろうとは思っていませんでした。当時は、スパイ事件やベトナム戦争で茫然自失としていて、ちょっと足が地に着かない状態だったんですね。これからどうするか、というのはわからなかったですよ、23歳でしたし。でも、そういう状態はすごく良かったと思います。今の若い人は「何になりたい」とか「早く決めないといけない!」と思う人が多いようですが、でも、やりたいことは、そんなにすぐに決めなくても別にいいと思いますよ。


ロジャー流語学上達法は、「分かるふりをする」?!


今では日本語がとても流暢なロジャーさんですが、どのように勉強なさったのでしょうか?
独学です。日本語を勉強するために、「どんなに面白くても外国人と付き合わない、どんなにつまらなくても日本人とつきあう」というのが私のルールでした。ですから、随分とつまらない日本人ともつきあいましたね(笑)。だから、学生によく言うのですが、「もし外国に留学したら、まず日本人と付き合わないこと、他の日本人が来ても『I am Korean.』」と言ってください」と。

それから、これは私の変わった方法論だけど、「わからない」とか「もう一度ゆっくり言ってください」というのは絶対言っちゃいけない。わかっている振りをする、分からなくても誤魔化す!(笑)

私もずっとそうしていました。日本人が話していて、言っていることがわからなくても「ふーん、なるほど!」「そうですね」「そう言われてみると、そうかもしれないですね」と相づちを打ちながらも、本当はチンプンカンプンだったんですけど(笑)。でも、それがすごく勉強になりました。だって、もし「ごめんなさい、わかりません」といつも言っていたら、相手はコミュニケーションしたくなくなるじゃないですか。「あ、わからないですか、じゃあ、いいです」と。だから、誤魔化しながらでもコミュニケーションを取る。

あとは「ベンキョウ」。何百時間、何千時間を捧げました。読む、聞く、書く、話す。バスに乗ってもボーっとしないで、中吊り広告などを読む。でも、辞書を持ち歩くようなことはしませんでした。会話の合間に辞書を引くなんて、コミュニケーションになりませんよね。わからない単語に出会ったら、メモして家に帰って調べる。そうすると「あ、先週調べた単語だ! あ〜、バカバカ!」何てこともよくあるんですけど、でもそれを繰り返すと上達しますよ。

それから日本人が言うことを繰り返す。例えば「あなたは茶の湯をどう思いますか?」と聞かれたら、「あ、茶の湯ですか? どう思うか、ということですか?」と。繰り返すのはいいですよ、覚える勉強になります。
このような方法は、英語の勉強にも役立つと思います。


来日当初、日本語で失敗したことなどありますか?
いっぱりありますよ! ありすぎて覚えてないくらい。おそば屋さんで、自分は日本語が出来ると思って、大きな声で「ニンシンそば下さい!」と言ったり(笑)。
でも、外国語だから間違うのは当然。私もよく学生に言うんですが、間違えるのは、恥ずかしいことではないですよ。誇りに思えばいいんです。


ロシア語、ポーランド語、そして日本語もマスターされたロジャーさんですが、語学修得のコツは何かあるでしょう?
多少の向き不向きはあると思いますが、誰でも出来るようになりますよ。私はロシア語は、大学で学んでいたので、読めたのですが、話せませんでした。でも、1カ月ロシアを旅した後、アメリカに戻ったら、もうペラペラに近かった。それまで蓄積していた知識がactiveになったんだと思います。
語学は勉強して、あとはひたすら使ってみることが大事なんです。そうすると、いつ覚えたかわからないような単語が口から出てきたりします。あとは、その言葉や、国、文化への興味ですね。私の場合は、ロシアが好き、ロシア語が好きという情熱がありました。情熱、興味、好奇心が大事だと思います。でも、それがないと人生はつまらないですよね!

ロシア語が話せるようになったとき、自分が外国語ができるようになるなんて、とすごく嬉しかった。あれは私の人生でもすごい体験です。ちょっと違った自分になれたような気がするじゃないですか。そんな喜びを日本の人にも感じてもらいたい。日本人だけが英語が出来ない、なんてはずはないんです。絶対出来るようになる。

あとは、文化を理解することですね。例えば、宗教的な背景を知らなければ、ブッシュ大統領の演説は理解できないはずです。


大好きな日本人作家は、宮沢賢治


日本文学にも造詣の深いロジャーさんですが、好きな日本人作家は誰ですか?
日本に来てしばらくして、友達に「一番美しい日本語を書いている日本人は誰?」と聞いたら「宮沢賢治だ」と言ってくれたんですね。それは正解だったと思います。普通の外国人は、夏目漱石、三島由紀夫、川端康成などを大学で教わっているから、彼らが一番と思うかも知れませんが、私は大学で教わってないので、読んで好きだったからそれでいい、と思ったんです。

当時は、日本語を覚えていく傍ら、大好きな宮沢賢治の文学や他の文学も日本語で読みました。花巻(岩手県花巻市。宮沢賢治の出身地)にも足を運びましたね。宮沢賢治の生家に行った時、「ごめんください」というと出てきたのが、弟さんの清六さんだったんです。私が「宮沢賢治が大好きなんです」と言うと、すごく喜んでくれて、すっかり友達になりました。当時、宮沢賢治は、有名は有名でしたが、ほとんど翻訳されてなかったんですね。谷崎(潤一郎)とかは翻訳されてましたけど。日本でも、宮沢賢治は、二流作家、まともな文章を書いてない田舎者だと思われていたんです、今では考えられないかも知れませんが。

だから、私が「宮沢賢治が好きだ」というと、「え? 溝口健二じゃなくて? 中上健次でもなく?」と他の「ケンジ」の名をたくさん挙げられ、勘違いしていると思われました(笑)。
ですから余計に清六さんはすごく喜んでくださって、花巻には何度も行きましたね。

宮沢賢治も好きだし、坂口安吾も好きで、よく読みました。あとは1969年に寺山修司の天井桟敷へ行き、彼の芝居を見て刺激を受け、最初の戯曲を書いて、1970年の8月『新劇』に発表しました。その後、井上ひさしの芝居や、別役実、唐十郎などの芝居を全部見ました。


その後、オーストラリアに行かれたそうですが、どうしてですか?
1971年の終わり頃に、オーストラリア国立大学の先生から、オーストラリアに来て、日本語の先生やってくださいませんか?」と言われたんです。当時、日本では自分が書いた芝居はなかなか上演されなかったんですが、オーストラリアに行けば、ひょっとしたら一人前の劇作家になれるかも知れない、と思って行くことにしました。そうしたらオーストラリアが大好きになり、帰化しました。アメリカの国籍を捨てたんです。

オーストラリアでは、芝居を書いて本を出したり、新聞で劇評を書いたり、ラジオのナレーターをしたり…、と色々なことをしました。

1979年には大学を辞めて、メルボルンに移り、プレイボックス劇場の座付き作者になりました。その間は、芝居を演出したり、アデレード芸術祭などで芝居を演出したりもしました。

その間も毎年日本を行ったり来たりし、日本に戻ると井上ひさしさんの家に居候したりしていました。


再び日本に戻られるきっかけは?
1981年に大島渚さんがオーストラリアに来て、私の芝居を見てくれたんです。一緒にキャンベラやメルボルンへ旅行もしました。その後、彼から1通の手紙が来たんです。「今度『戦場のメリークリスマス』という映画を撮るので、助監督をやってくれないか?」と。
私は鳥肌が立って、でも、なかなか信じられなくて「本当にそんなこと書いてあるの?」と何度も読み返しました。そのときはもう日本語が完全にわかるようになっていたんですが、「ひょっとしたら読み間違いかも」とも思いました(笑)。

そこで、「よし、日本に帰ろう」と。オーストラリアにいても、日本に行ったり来たりはしていましたが、日本でも演出したい、日本でも本を出したい、という思いもありました。

82年の夏にクック諸島のラロトンガ島で映画を撮り、その後、日本に帰国しました。

80年代には、芝居の演出や、テレビ出演をしていました。レギュラー番組も何本かありました。林真理子さんとやっていた『スタジオL』や、『朝まで生テレビ』にも92年までレギュラー出演していました。92年からしばらくオーストラリアに帰ってる間に、デーブ・スペクターが私の不在を埋めてくれてましたけど(笑)。
あとは、『サンデープロジェクト』、大河ドラマ(『山河燃ゆ』)にも出演しましたよ。


本当に色んなことをされていたんですね!
ええ、とにかくバブルで、エキサイティングな時代でした。もちろん、バブルは良くないこともありましたが、国際化に向かっていったし、文化的には開かれた時代で良かったと思います。外国人が街を歩いていたり、日本語を話すのに、日本人が抵抗を感じなくなりつつあった時代ではないでしょうか?

その前は、例えば私が、文房具屋さんで「すみません、その赤いペンをちょっと見せていただけますか?」と日本語で言ったら、「あわわわ…No English!」と言われ、「いえ、日本語ですのでご安心ください」といっても、「I'm sorry!」と言われることもありましたよ(笑)。

92〜94年は、シドニーにいて、日本に帰ってきたらバブルがはじけて、テレビ出演もできなくなったし、本も多少売れなくなったし(笑)で、京都造形美術大学の教授として再び英語を教えるようになりました。

私の家族は東京より京都が好きだったんです。
でも、結局、今は東京で、本も書いたり、芝居の演出もして、東京工業大学では英語を教えています。

家内には「あなたは芝居を演出している時が一番楽しそうね」と言われます。芝居は、無から始まり、無で終わる。本も映画も後に残りますが、芝居はそのときだけですから。そういうはかなさが芸術の真髄そのものだと。

でも、ほんと、色々やっていますね、波瀾万丈というか、多芸は無芸というか(笑)。

何故、日本に来たのか、最初はわからなかったけど、ずっと居たいと思うようになったのは、日本語の魅力にとりつかれたのもあるし、日本国民は、すごく演劇的だというのもあると思います。面白い「間」がたくさんあるし。あとは以心伝心、どんな文化にも以心伝心はありますが、私は日本的以心伝心は好きですね。

初めて日本の土を踏んでから三十数年、無からスタートした私ですが、私ほど日本を愛している外国人はいないと思います。相当な日本びいきですね。日本の政治は別ですが(笑)。あれは「アカン!」


『キュート・デビルの魔法の英語』を書くことになったきっかけを教えてください。
最初は、大修館書店の『英語教育』という雑誌の連載だったんです。単なる言葉についての本ではなく、フィクションのようなもので英語を学べ、職業別の社会風刺のようなものを書きたかったんです。で、私が毎回色々な「あの世」を訪れるという設定でした。

『英語教育』で掲載したときは英語だけで、キュート・デビルもいませんでした。解説もなかったんです。ですが、研究社の金子靖さんから本として出版しようと言われ、日本語の翻訳を追加し、キュート・デビルが主人公になるという設定にしました。


翻訳者に必要なのは、原文への愛


翻訳もされていますが、翻訳者を目指す人に必要な素要とは何だと思われますか?
最初はロシア語、ポーランド語の翻訳もやりましたが、日本語が一番多いです。宮沢賢治、井上ひさし、坂口安吾、谷川俊太郎、筒井康隆も訳しました。ただ、昔は翻訳はよくやりましたが、段々自分の執筆活動が中心になってきましたね。最近は、正岡子規、与謝野晶子、小林一茶の短歌と俳句を翻訳し、去年は、井上ひさしの『父と暮らせば』という戯曲を訳しました。これは宮沢りえ主演で映画化され、7月から封切られます。

翻訳者に必要なのは、原文への愛ですね。もっと知りたい、もっといろんな人に読んでもらいたい、という気持ちです。宮沢賢治は、30年前は外国で無名だった。でも、私が『銀河鉄道の夜』や詩集を翻訳して、外国人が読んでくれて、また日本人が英語で読んでくれている。翻訳した甲斐がありますね。
やはり、翻訳は作品が好きじゃないとできないのです。


最近のロジャーさんの本の多くは上杉隼人さんが翻訳なさっていますが、訳された日本語をチェックされるのでしょうか?
もちろん、チェックします。誰だって誤訳しますし、私も翻訳するとき色んな方に直してもらいましたし、恥ずかしい間違いもいっぱいしました。出版してからも、数カ所誤訳に気づくこともあります。でも仕方がない。翻訳、やってごらんなさいよ、難しいから(笑)。しかし、私は外国人作家ですが、日本語の訳文を読んでわかるから、翻訳者にとっては恵まれていると思いますよ。こんなこと言っていいのかわからないけど…。

私の母国語は英語なので、英語で書いた方がいいと思うから英語で書きますけど、大事なのは、何語で書くかではなく、何を書くか、ですね。翻訳者の上杉さんも言ってくれてますが。

ロジャー・パルバースという現象『何語で書くか?』ではなく、『何を書くか?』(上杉隼人著)

日本には明治時代から外国人が住みついていますが、作家活動をしている人は少ないですね。小泉八雲と私くらいじゃないでしょうか。とにかく、例がないので、日本人に理解されにくいというのはありますね。日本人なのか、外国人なのか、どこの馬の骨なんだ、と(笑)。カテゴライズしにくい。でも、本当に私が心の中で望んでいることは、外国人が、自分の母国語で日本を舞台に小説を書いて、映画の『ロスト・イン・トランスレーション』のようなものではなくて、まるで日本人が書いたような、日本文学の原子の一つのなれるようなものを書いてくれればなあ、と。そして、翻訳者が、素晴らしい日本語に訳してくれればいいと思う。


ロジャーさんのベストセラー『ほんとうの英語がわかる 51の処方箋』は、英語初心者だけでなく、少し英語が話せるけど、細かい違いまではまだまだわからない、という中級者にまで、「痒いところに手が届く」素晴らしい本だと思いました。執筆なさるときに、一番気をつけたことは?
もともと、日本人の読者を狙ったわけではないんですが、IとかYouとかLoveとかGodなどの単語の裏に潜んでいる意味、使っているネイティブの心境などを伝えたかったんです。いずれは英語でも発表したいと思っています。

日本の英語教育の状況は、広く浅く。いわゆる「ペラペラ」になればそれでいいみたいな。薄っペラのペラペラですけど(笑)。それには私は大反対です。広く深く。本当の語学は深いんです。

『ほんとうの日本語がわかる 51の処方箋』を誰かが書いてくれるといいんですけど(笑)。
「わかる」「知る」とか。「ちょっとあなたの言うことがわかりません」というとき、「I don't understand you.」のときもあれば、「You've lost me.」と英語に訳せることもあるかも知れません。こっちが悪いのか相手が悪いのかわからないし、そういう微妙な人間のドラマというのが言葉の中、イントネーションの中、ジェスチャーの中に隠れているんです。
なので、「わかりません」を「I don't understand you.」としか教えないのは、教育ではない、と私は思っています。

日本人が英語を話すのに抵抗があるのは、頭の中に完ぺきな文章で作って話さないと恥ずかしいと思ってるからかもしれませんね。
でも、今の若い人はそうではないと思いますよ。割と自由に話したりするし。良い意味で解放されたんだと思います。

→『ほんとうの英語がわかる 51の処方箋』を読む


英単語の丸暗記は無意味。文脈の中で覚えてこそ頭に残る


私はこの『ほんとうの英語がわかる 51の処方箋』を、学校の英語の先生に読んで欲しい! と思いました。ロジャーさんは、日本の学校の英語の先生をどう思われますか?
ピンからキリまでだと思いますね。良い先生もいっぱいいると思いますし。でも方法論が間違っているんじゃないかな、と思います。例えば、電車に乗ると、英語の勉強をしている学生を見かけますね、赤プラスチックのシートをかぶせて単語を覚えてる。「経済…economicsか!」という風な覚え方、リストで覚えるのは意味がないですよね。大事なのは、in context、文脈、状況の中、前後関係の中で覚えることです。どんな言葉もある状況の中で言われているわけですよね。相手の発言を受けて、とか。それなしで言葉は語れないですよ。あるドラマの中、状況の中で覚えることが大事です。

例えば、私は、授業ではこういう風にやります。「あなたのお母さんが癌で死にかけているとします。で、お医者さんが、それをお母さんに告知をする。そのときの『告知する、知らせる』という単語は『inform』です。」と。
これで、もし学生が外国に行ったとき、「inform」という言葉を聞いたら、すぐその死にかけたお母さんのことを思い出して、あ、「『知らせる』だ!」とすぐ思い出せるはずです。それを思い出すまでに1ナノ秒くらいしかかからないと思います。

でも例えば、「先生、『inform』ってどういう意味ですか?」と聞かれ、「『知らせる』ですね」としか教えなかったら、外国に行ったときにすぐに思い出すのは難しいと思います。

私は、授業のときによくアホの振りをするんですが(笑)、例えば「lean on」というのが出てくると、どこかにもたれて見せて、「lean on」を教えるんです。人間、大げさなことっていうのは覚えるじゃないですか。

日本の中で生きた表現を学ぶには、外国人と話すのが一番ですが、出来なかったら、好きな本を英語で読む。『キュート・デビル』が一番いいですけど(笑)。
『キュート・デビル』は12のあの世の物語ですが、これは読者が自然に吸い込まれるようなストーリーです。しかも、1冊英語の本を読めた、という達成感が味わえると思いますよ。

その他、外国のニュースを見る、映画を観る、洋楽を聴くなど、好きなことから入るのが一番。料理が好きなら英語の料理の雑誌を読むとか。
私は星が好きだったので、天文学の雑誌をロシア語で読んだりしました。
まずは、好きなことから始めましょう。

また、自分でも新しい単語を聞いたら、出来るだけイメージを作る。
『キュート・デビル』に出てくる単語も、単語一つだけ抜き出すと覚えられないけど、文章の中で覚えるとなかなか忘れないですよ。

あとは「自分は出来るんだ」と思うこと! できないところは誤魔化す。ごますりじゃなくて(笑)


短編集「ライス」には日本人を主人公にしたお話がいくつかありました。意識して日本人を主人公にされたのでしょうか?
意識してるわけじゃないです。私の小説には、外国人とかハーフとか、日系人や、色々な人が出てくるんです。でも、国籍とか人種とか私は考えないですね。日本人かオーストラリア人か、男性か女性か、など関係ないと思います。私は、よく女性のことを書きますが、「この作家は女性のことがよくわかる」と言われるんです。それはすごく嬉しい。まあ、すべての男性の中に女性がいますから。でも、女性も男性も同じ人間だからあまり違わないと思う。

そういう意味で、私は国を思う心はありません。国籍、皮膚の色とか、ジェンダーでさえ関係ないと思います。人格とか中身だけなんですね、人間は。
でも私は、今の時代には合わないかも知れませんね(笑)。今は、愛国主義の時代ですから、19世紀みたいな。21世紀の武器を持った19世紀の人たちが多いですね。

→『ライス』を読む


先ほど日本語の美しさに惹かれた、とおっしゃっていましたが、ロジャーさんの感じる美しさとはどういうものでしょうか?
深いとか、読んでためになるものですね。私は、日本語のリズム、間、息の仕方、曖昧さじゃないけど、微妙なニュアンスの作り方が日本語の場合はすごく微妙(笑)で好きなんです。ちょっとした語尾の変化でだいぶ変わるじゃないですか。「そうだと思うけどね」「そうだったらいいけど」「そうかも知れないけど」…全然違いますよね。もちろん、英語もロシア語でも全部今言ったことと同じことを言えますが、日本語では表現の仕方がちょっと違う。

英語などの他の言葉より単語数が少ない中で、すごく豊かな生活を作ってる。日本語の表現、ニュアンスの作り方はすごく好きです。心の変化とか、感情の表し方とか、言葉がちょっとしたことで変わるのがいいですね。



Roger Pulvers(ロジャー・パルバース)

1944年ニューヨーク生まれ。作家、劇作家、演出家。UCLAおよびハーバード大学大学院で学ぶ。ワルシャワ、パリに留学ののち、67年に初来日。著書に『旅する帽子 小説ラフカディオ・ハーン』『ライス』(ともに講談社)、『日本ひとめぼれ』(岩波同時代ライブラリー)、『ほんとうの英語がわかる 51の処方箋』『新ほんとうの英語がわかる ネイティヴに「こころ」を伝えたい』『ほんとうの英会話がわかる ストーリーで学ぶ口語表現』(ともに新潮選書)など多数。現在、東京工業大学教授。


ロジャー・パルバース氏のホームページ:
http://homepage2.nifty.com/uesugihayato/


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There was an Old Pond with a Frog and other literary limericks


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ロジャー・パルバース 著/柴田元幸 訳/喜多村紀 画(研究社/定価1,365円)

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・愛国主義 nationalism, patriotism