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村松増美さん インタビュー
Masumi Muramatsu

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Page1 ニューズウィークの正しい楽しみ方
 -楽しくなけりゃ英語じゃない
Page2

かっこよかった中学校の恩師
 - 英語が話せたら…と思った瞬間

Page3 上達の極意は好奇心
 -禁を破った捕虜との会話
Page4 英語のプロへの道
 -インセンティブはお金!
Page5 面白くなって友達の和を広げよう!
  -ウソでも面白いウソを

かっこよかった中学の恩師 〜 英語が話せたら…と思った瞬間

多感な青春時代に出会った恩師と素晴らしい文学が、後の自分の基礎になった。村松少年がぐっときた先生の行為は?

.最初は米軍のタイピストになられたんですよね? どうして英語に関わる仕事を始めようと思われたのですか?

.中学生の時から英語が好きだったので、19歳の時、昭和24年、1949年に、戦争が終わってからたった4年でしたが、占領中の米軍に就職したんですよ。東京軍政部、「Tokyo Military Government」という、今の若い人たちには想像もつかないだろうけど、占領下の日本には各都道府県ごとに「military government」があったんです。軍政部と言ってたんですが。そこでタイピストになって、途中で通訳に変えてもらいました。

.そうだったんですか! ところで、英語を好きになったきっかけをお聞かせいただけますか? 

.まずは単純に好奇心でしょうね。「これは日本語ではこういうけど、英語で言えばこういう風になる」とか、そういうことが面白かったんです。それに物好きだったんでしょうね。小学校の時に、わかりもしないのにドイツ語の参考書を買ってきて、ひたすら書き写したりしてましたから。もっとさかのぼると、小学校に入る前に、僕は下町浅草の生まれなんですが、生家は小さな十文字の角の家で、二階の窓からいろんなお店の看板が見えたんです。蒟蒻屋、葬儀屋、経師屋、それを全部、書き写したんですよ。本当に全部です。


.中学は航空学校へ通われていらしたたんですよね? そこではどのような英語学習をしたんですか?

.中学生の時はもう大平洋戦争が始まっていましたから。幸運なことに、私が行ってた都立航空工業学校は、当時エリート中学で、いい先生がいっぱいいたんです。当時は航空技術者がたくさん必要だった。大学で養成するだけでは間に合わなかったので、旧制中学でも航空技術者を育てるために、国策で作られた学校だったんですよ。

だから、素晴らしい先生がそろっていて、その中でもひときわ輝くのが、後に広島女学院大学の学長、理事長、院長をされ、2年前に亡くなられた今石益之先生というたいへん立派な先生で、今でも私は先生にとても感謝してます。


.村松さんが英語の道を志したのは、その先生の影響というわけですね。

.ええ。勇気のある先生でした。終戦直後、校庭にアメリカ兵が二人やって来て、バスケットボール用のゴールポストを抜いて持って行こうとしたんです。

僕らはそのころちょうど、「will」と「shall」の違いを勉強してて、「You will die.」だとただ単に「お前は死ぬだろう」ってことですが、「You shall die.」だと、話し手の意志が入っているので「お前を殺してやる」という意味になる、と習ったばかりだったので、私が音頭をとって、教室の窓から「You shall die!」って皆で怒鳴ったんです。

とは言っても、アメリカ兵はピストルもってますから、こちらもおっかなびっくりで、怒鳴ってすぐに首をひっこめてどうなるか見てたら、多分発音が悪くて全然、通じてなかったんでしょうけど、彼らは構わずポールを抜こうとしてましてね。そこに今石先生があらわれて、勇敢にもアメリカ兵に歩み寄って、何か英語で話したんです。そしたら驚いたことに、彼らはポールを抜くのをやめて立ち去りました。「カッコいいな」と思いました。これが「英語ができたらいいな」と思った最初でしょうかね。


.今石先生は国語の先生も兼任されていて、英語の学習にそれが効果的だったとか。

.私の中では日本語と英語は常にリンクしてます。格調高い日本語と英語を教えてくれました。今石先生は、戦争中に海軍にとられていたのが終戦になったらすぐ無傷で帰ってきて、その時に教えてくれたいろんな教材の中に、「シェークスピア物語」がありました。

「シェークスピア物語」って知ってますか? イギリスのチャールズ・ラムという文学者が姉のメアリーと二人で、少年少女たちのために原典の文学的面白さを伝えようという意図で書いた簡易版のシェークスピアで、なるべくシェークスピア自身の言葉を使っているんです。これが見事に成功して、今ではそれ自体が古典文学となってます。


.それは、後に本物のシェークスピアを理解するのにお役に立ちましたか?

.そう。私は後に早稲田に行きましたが、初めて本物のシェークスピアを教材に与えられた時に、「何だ。これ、わかるな」と思いましたよ。デジャビュのような気がしましたね。ラムの物語というのは、青少年向けにわかりやすくリライトされてものだけど、フレーバーは残した書き方です。だから、名文句は限りなく原文に近いんです。それを日本の中学生が勉強していたんだから、本物のシェークスピアを理解するための下敷きとしては理想的であったわけです。

 村松 増美(むらまつ ますみ)
1930年、東京生まれ。在日米軍タイピスト、通訳として勤務中に早稲田大学第二文学部英文科に学ぶ。
1956年に日本生産性本部駐米通訳者として渡米。その後日米貿易協議会調査部長に。この間ジョージワシントン大学で国際経済を修める。
1965年帰国、サイマルグループ創設に参加。アポロ宇宙中継、先進国サミットなど同時通訳をつとめたほか、英語教育で活躍。
サイマル・インターナショナル サイマル・アカデミー常勤顧問。

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