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ソニーPCL代表取締役会長
郡山史郎氏インタビュー

郡山史郎氏(Shiro Koriyama)
ソニーPCLの会長、郡山史郎さんは、昭和34年に貿易要員公募採用の第一期生としてソニーに入社し、赴任先のヨーロッパやアメリカでソニーの国際的なビジネス基盤を築いてきた人物。終戦間もない時代から、英語、フランス語、ドイツ語を操って世界を渡り歩いてきた。そんな郡山さんが英語を学び始めたきっかけは、少年時代の鮮烈な思い出だったそうだ。
第一回目の今日は『英語との出会い』
  .郡山さんは昭和34年にソニーの公募第一期生として入社した時には、既に英語がご堪能だったそうですね。最初に英語と出会ったきっかけはどんなことだったんですか?

.いきなり古い話になりますけど、私は昭和10年の生まれで、小学校4年の時に終戦を迎えた世代なんです。で、外国人を初めて見たのもやっぱり戦争だったんですね。
戦争が終わりに近づいた頃、私の故郷の鹿児島は毎日のように空襲があって、ある日、私の小学校も爆撃を受けたんです。その時、戦闘機の窓からパイロットがヒョイと顔を出したんですよ。それが最初に見た外国人でした。おそらく低空飛行していたんでしょう。顔がはっきり見えて、ただただ、『白いなあ』と驚きました。その体験が、彼らに興味を持つようになったきっかけです。



 

.鮮烈ですね。でも、敵だった国の言葉を話すことに抵抗はありませんでした?

.当時は子供ですから。もちろん、日本はずいぶんやられてるなあと感じてはいましたけど、多分、日本もやってるんだろうと気楽に考えてました(笑)。 戦争に負けた時も、子供の間では勝った、負けた、という意識はあまりなかったですねえ。むしろ、アメリカとはどんな国だろう? もっとアメリカのことを知りたい、行ってみたいという好奇心の方が強かった。それで、英語を習わなくてはならないと思ったわけです。しょうがないですよね。彼らが喋るのは鹿児島弁でも日本語でもない、英語なんですから。


 

.今と違って、当時は英語を勉強する手段が少なかったのでは?

.私は鹿児島のラサール高校出身なんです。ラサールは外国人がつくったミッションスクールで、当時の私は『外国人の学校に入る』ということにすごく憧れていたんですね。学校には外国人の先生もいましたから、語学を勉強する環境は整っていたと思います。いい先生にも恵まれて、英語とフランス語を一生懸命勉強しました。


 

.高校時代から英語だけでなくフランス語も? その後はどうされたんですか。

.世界のいろんな国へ行ってみたいという思いがどんどん強くなって、貿易関係の仕事を目指すようになっていましたから、大学は経済学部に入りました。そして昭和34年に「海外貿易要員」を募集していたソニーに第一期生として入ったわけです。入社後すぐにスイスのチューリッヒに赴任、フランス語とドイツ語を使いながら現地法人を立ち上げました。でも正直なところ、私はヨーロッパにはあまり興味がなかった。文明国だとは思いましたけど、なんだかどの国も古いし小さいし、でね。


 

.やはりアメリカへの憧れが強かったと?

.そうなんです。ですから1964年にアメリカに赴任した時は、さあ、いよいよ憧れの地にやってきた、という感じでした。その時、29歳。それから7年間アメリカに駐在して、営業の仕事をしたわけですが、当時はソニーも小さな会社で、社員がラジオをかついで売ったりするような世界です。最初はアメリカ英語も分からなくてね。だって、相手が必ず綺麗な英語を話してくれるわけではないし。一度、岩間和夫さん(後のソニー社長・故人)に「彼らはhell of a jokeとかhell of a Productとか言うが、hellとは何だろう?」と聞かれたことがあるんです。でもhellに意味はない。日本語の「なんたること」の「たる」みたいなものと言えばいいのかな。そんな言葉がたくさんありますよね。


  .確かにアメリカ映画を見ていても、分からない言葉が多いです。

.ああ、映画の英語は生活英語なんですよ。その反対にテレビの英語は、どちらかというと共通 語的というか、授業の英語に近い。だから映画を見るのは、英語の習得にはいいと思います。イントネーションや言葉の使い方が分かりますし、こんな時はこんな言い方をする、こんな言い方はしない、なんてことがすべて分かる。私も向こうで生活して分かった米語がたくさんあります。


  .生活の言葉というのが肝心なんですね。最近、英語を日本の第2公用語とするという話もありますが?

.それには反対です。公用語というのは、その言葉しか話せない国民の権利を守るためのものでね。英語を日本の第2公用語にするということは、お役所で、英語しか話せない人たちが英語を話す権利を得るということ。だから日本が第2公用語を作るとしたら、まず韓国語、中国語にすべきでしょう。第一、英語を公用語にしたって、日本人が英語を話せるようにはならないですよ。例えばカナダの公用語は英語とフランス語ですけど、両方話せるカナダ人というのは本当に少ない。カナダで仕事をした時には、私が英語とフランス語で、カナダ人どうしの会話を通 訳していましたから(笑)




image ヨーロッパ赴任時代の貴重な写 真。一番左端が若かりし日の郡山さん。

提供:ソニーヒストリー
http://www.world.sony.com/JP/Fun/SH/2-15/h3.html


 明日は必見!「郡山流英語上達法」について