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Page1:6才から始めた三味線。他の楽器に浮気はしなかった
Page2:アメリカの観客は厳しい?!
Page3:夢は、三味線の国際的な知名度を上げること
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三味線、そしてアメリカとの出会い
父親が、趣味で三味線をやっていたんです。で、練習する音を聞いて、自分もやってみよう、と思ったのが三味線を始めたきっかけでした。
それが6才の時だったんですけど、その時には、本格的にやろうと思ったので、父親と同じ三味線教室に通い始めたんです。 三味線を習っていたとは言っても、色んな音楽を聴きましたよ。子供の頃は、アニメソングやピンクレディー、チェッカーズなど、はやりのものは聞いてました。
中学生の頃は、姉の影響で「ベストヒットUSA」を見始めて、「邦楽は海外の音楽の影響を受けているんだな」ってことが何となくわかってきたんです。
真似ではなく、オリジナルの生まれる環境はどんなところなんだろう、とアメリカに興味を持ちました。 高校生くらいになると、男の子はギターやベースなどに興味を持つと思うんですけど、僕の場合は、例えばギターをやってみようと思うことはなかったんですよね。
それだけ、三味線の周波数が自分に合っていたんだと思います。
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修学旅行で感じた、アメリカの大きさ
洋楽を聴くようになって、自分も海外で三味線を弾けたらいいな、とぼんやり思ってました。
そんなとき、高校の修学旅行で、アメリカとカナダへ行ったんですけど、そこで感じたのは、アメリカは実力社会だということ。 日本の縦社会ではなく、実力でモノを言える国なんだな、と肌で感じました。
自分のいる民謡の世界は、縦社会で年功序列ですから、例えば20才で演奏が上手くても、若いというだけでテレビに出たりするのもなかなか難しかったんです。
でも、アメリカなら、いろんなしがらみなく、自由に演奏できるという部分では、もしかしていけるんじゃないかな、と思っていました。
普通、三味線っていうと着物、っていうイメージがあるかも知れませんが、僕は茶髪にジーンズで三味線を弾いていたし、全国大会でも自分だけ違う格好してましたから、10代の頃は、古くからいる人たちからは反発も買いました(笑)
。今はもうそういうのはないですけどね。
今のような演奏スタイルでは、ライブで着物だと動きにくいというのもあるんですけど、今の感覚で自分の音楽を表現したい、っていう気持ちが一番強いんです。
三味線というものの既成概念の壁をなくしたいという思いもありますし。だから僕には着物は必要ないと思ってます。
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